六大新報 平成二十三年新春特集号 寄稿
三十四身二十説法 沖縄県糸満市 長谷寺住職 岡田弘隆
おかげさまで、沖縄で五回目の新年を迎えました。沖縄戦激戦の地、糸満市に沖縄山城間院長谷寺を開創したのが平成十八年の十月でした。
私は毎朝の勤行に観音経をお唱えしています。また第一と第三日曜日には座禅会と勉強会を開きますが、そこで読経と観音経の解説をしたりしています。
皆さんは「三十三身十九説法」という観音経の教えをご存知でしょう。
観音様は、人々の必要に応じて姿形を変えて、教えを説かれるとの教えです。その例示が、仏心から順次具体例をあげて説かれており、女性になったり子供になったりしてと、三十三の変化身の例示をあげ、説法の場面としては十九の説法をお示しになっておられます。
これをまとめて「三十三身十九説法」と呼んでいるのです。
そうすると、と私はある朝忽然と考えがひらめきました。
その例示の先には、今度は私が救わなければ外には救うことのできない人に対しては、観音様はまさに私になって、その救わんとする人をお救いになられる。そういう場面があるはずである。いやまさに私が毎日遭遇している場面は、その場面に他ならない。私がお救いしなければ一体誰が、その方をお救いされるのであろうか。私をおいては外にはいないと。
親や配偶者の介護に、日々に向かい合っている多くの方々。地球環境の維持と保全に毎日向かい合っている方々。左右と問わず政治の世界で真剣勝負をして国民の幸福のために努力しておられる方々。ありとあらゆる職場で日々に持ち場を守って努力を怠らない方々。六大新報を継続発行するために命を削っておられる方々。どの、どこの場面でも、自分をおいて誰がやるぞと、一所懸命になっておられるそれぞれの尊いお姿は、とりもなおさず観音様のお姿に他ならないものなのです。
そのことを、ある朝の勤行の席で、そのようなお姿が「三十四番目の変化身であり、二十番目のお説法のお姿なのだな」と分からせていただいたのでした。
そのような意味で、私が私こそが観音様の変化身だと自覚することも大切ですし、またお互いが、自分以外の方々が、ああこの方が観音様の変化身さんなんだなと、尊敬の念をもって接すること、それも大切なことだと分からせていただいたのでした。

観音経には、偈文の部分に「十方諸国土 無刹不現身」とあります。
この「刹」の意味を「国土、世界、国」の意味と理解して、「十方の諸々の国土に国として身を現さないという所はない」ということから、「あらゆる国々に観音様はそのお姿を現されて人々をお救いになられますよ」という意味に理解しています。これが通説といってよいでしょう。
しかし私はこの理解に疑問を持っています。もし通説のような理解なら、この偈文は「十方諸国土 無国不現身」となってもいいはずです。それを刹と呼んだのには別の意味があるのではないか。
そう考えて、私はこの偈文の「刹」の意味を「刹那」の刹と理解して、「十方の諸々の国土に刹那として身を現さないということはない」と理解することにしています。こう理解すると、「一刹那といえども、観音様は身を現さないということはない」。つまり観音様は常に私と一緒におられますという意味になります。要するに観音様の「同行二人」の意味となります。
もちろん、刹の文字は梵語を翻訳したものですから、その立場からは間違いとなるのでしょう。しかし古来から経文の理解は字義どおりだけではありません。経文を味読し身読するならば、私の理解も許されるのではないでしょうか。

沖縄の長谷寺は以前の持主城間巌氏の屋敷を引き継いだものです。境内は千三百坪ほどあります。高低差二十メートルの傾斜地を含むものですから、その地の利を活かして西国三十三観音霊場の写しを新たに作りました。各々のご本尊様は西国霊場の御影絵像を開眼してお祭りしています。地元の潮平の名前をとって「潮平三十三観音霊場」としました。番外の発起院、元慶寺、花山院もあります。工事費がかかりましたので、その御寄付を募りましたら、合計で百二十二人の方々から御寄付が集まりました。沖縄の方々と県外の方々と様々です。山頂付近からは沖縄本島から西へ三十キロ先の慶良間列島の島影も見えます。傾斜地には手すりもつき、休憩のあづまやもできました。登ったり下ったりで足腰を鍛えるリハビリにももってこいです。

私の目的は、これから沖縄の離島をいれた全体に、沖縄三十三観音霊場を開創することです。それが私への観音様の夢のお告げでした。現在沖縄には約百のお寺があります。そのうち観音様をご本尊としたり脇侍とするお寺を三十三集めるのですから、そんなに困難はないと思われます。
沖縄は普天間基地をはじめとして「基地と日米安保」に揺れています。国土のわずか0.6パーセントの沖縄に、米軍基地の75パーセントが集中しています。その基地の中の観音霊場の素顔も、内地からの巡拝の方々には知ってもらいたいと願っています。
やがて霊場の神通力も加わってと、米軍基地は過去の話となるはずです。そうなれば、まさに蓬莱の国、観音浄土の実現に繋がるはずです。
沖縄の長谷寺はいいところです。最大で二十名は宿泊できます。これまでも学生や参籠の方々がお泊りになっています。沖縄はまたリピーターの多いところです。一度来ると二度三度と回を重ねます。皆さんもぜひ沖縄にお出かけください。長谷寺によられて南部の沖縄戦激戦地の慰霊行脚をされて、また最先端の沖縄を味わっていただければと願っております。
今年もどうぞよろしくご指導のほど、お願い申し上げます。 合掌
更新日:05/14
平成23年元旦修正会の御挨拶
1 もう平成23年元旦

 あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年も引き続きお願いします。

 昭和64年1月7日が崩御のとき。そこから平成がはじまり、すでに23年です。昭和でいうと86年ですか。

2 命あって新年を迎えられたことに、感謝

  お釈迦さまの言葉から

 人の生を受けるは難く やがて死すべき身の

  いま 生命あるは 尊し

3 門松や松竹梅の意味

 四季に色を変えない松の長寿にあやかる意味

 竹も四季に色を変えない、また真っ直ぐなもの

  また雪にも折れないところから節操堅固

 梅は実がたくさんなることから子孫繁栄の意味

4 鏡餅 かがみもち

 丸くて福徳円満 上のミカンは橙だいだい

5 お正月 元旦 修正会の意味

 身も心も行いも正しくする月の意味

 元旦は一年で一番初めの日の意味 糸満旦男先生

 修正会 過去を反省し 正しい行いを修める意味

 過去の自分を反省して新しい自分に生まれ変わる

 新しい希望や理想を抱いて 船出をする

6 うさぎ年 飛びはねる飛躍の年に

7 沖縄山 城間院 長谷寺は 5回目のお正月

 昨年は 潮平三十三観音霊場がスタート

 その意味は



 今年は 沖縄県内三十三観音霊場の第一歩へ

 糸満で フードバンクの 発足の年に

 平和と繁栄を願って 梵鐘の作成と鐘樓堂建立へ



 三十三観音 おそうじ奉仕 布施行 大募集中

  沖縄一の 清掃の行き届いた お寺に 

  また 誰にでも 開かれた お寺に

  常に 多くの方々が 集まっている お寺に

  そんなお寺をめざします  

  朝に晩に 皆さんの幸福を祈願しています 合掌
更新日:05/14
沖縄だより5 2010年秋
沖縄の興南高校が甲子園夏の大会でも優勝しました。春夏連覇です。夏の大会の真紅の優勝旗を初めて沖縄にもたらしました。沖縄中が沸きあがったのは言うまでもありません。高校野球だけではないぞ。学力テストの成績も、進学や就職も、それに島の産業も全国一を目指せば何とかなるんだ。そんな確信を与えた興南高校の連覇です。

甲子園が終わって八月二十二日が迎え盆(ウンケー)、そして二十六日が送り盆(ウークイ)でした。何で?とお思いでしょう。沖縄は「旧暦社会」と言って、八月二十二日が旧暦の七月十三日に当たったからです。本土では七月や八月の十三日に迎え盆をしますが、沖縄のお盆はいまだに旧暦を通しています。
中秋の名月は新暦の十月二十二日になりました。沖縄の手帳には新暦と旧暦が書かれています。旧暦は現実の月の満ち欠けにぴったりです。なんと味わい深いのでしょうか。お正月は新暦、旧暦ともお祝いします。子供のお年玉は二回もらえるのかと聞いてみました。残念、こちらはどちらか一回だけだそうです。種まきや収穫の農作業にも、また漁業にも旧暦が一番ぴったりのようです。

二百十日などの呼び名も旧暦を基準にしています。芭蕉の「奥の細道」も旧暦で出発しています。皆さんも是非旧暦を勉強してみてください。
更新日:08/16
沖縄だより4 2010年夏
半年前の四月三日、沖縄の興南高校が甲子園の選抜高校野球大会で全国制覇しました。
決勝戦の日に、ここ沖縄の長谷寺では行事がちょうど重なりましたが、野球観戦を優先させて、優勝万歳をしてから、行事をはじめました。

ところで、皆さんは今回を入れて過去十一年間に沖縄が春の選抜で三回の全国制覇をしていることをご存じでしょうか。一九九九年と二〇〇八年の沖縄尚学高校に続く今回の三度目の栄冠です。こんな県は他の都道府県には一つとしてないはずです。

いやいや、読者の皆さんは地元の高校を応援したはずですから、不快な思いをさせてしまったことをお許しください。ですが、米軍基地の問題など、不当なイメージの多い沖縄で、この三度の優勝ですから、やればできる、努力すればできると県民にも、また全国の皆さんにも勇気と希望を与えたのではないでしょうか。まあまあ自慢話も許してください。

今年の九月末で移住して満四年が過ぎ、五年目に入ります。境内に造っていたミニ三十三観音霊場も完成しました。高低差がある所を手すりを伝って歩きますからリハビリにも最適と、地元の老若男女の皆さんにも喜んでお参りしていただいています。
更新日:07/27
2010/5/13 仏教タイムス特別寄稿 住職 岡田弘隆
熱い普天間基地移設の県民大会
4月25日、沖縄の読谷村で普天間基地の県外・国外移設を求める大規模な県民大会が開かれ、9万人が集まり、お坊さんも参加しました。普天間問題でこれだけの人数が集まったのは沖縄でも初めてです。午後3時の開会で5時過ぎには終わりましたが、バスや自家用車で駆けつけている人々が、会場に着けないほどでした。
東京から沖縄県糸満市に移住し、早いもので3年7ヵ月になりました。今年になって、新聞やテレビで普天間と沖縄を報道しない日はないほどになっています。昨年の衆議院選挙で色々な意味を込めて、国民が民主党を選択しました。自民党政治の行き詰まりを民主党に賭けたと言ってもいいでしょう。それがです。
普天間基地のことで、「最低でも県外」と発言していた鳩山さんが、どうしたことか、辺野古陸上案や勝連沖の埋立案や徳之島分散案になりそうなのです。鳩山さんが5月末決着というので、それを阻止するための時機に、沖縄では自民党から共産党までのすべての政党が、またすべての市町村長らが、はじめて真に党派を超えて一致して「普天間基地の移転先は県外または国外を」と今回の県民大会を開いたのです。大会の共同代表は自民党系の翁長那覇市長と、自民党に反対する県会議長らです。
会場には、市町村の旗があり、そのほか労働界、財界も市民団体、婦人団体、PTAや子ども会、青年会議所も、それに仏教関係も挙げて参加しました。これまで辺野古移設に賛成してきた仲井真知事も参加し、目の前の人数に驚いて政府に公約の実行をと叫んだほどでした。
一昨年、教科書から「日本軍の関与によって」集団自決(強制集団死)が起こったとの文章が消された時、県民大会には11万人が集まりました。この教科書問題でも鳩山政権の文部行政は前政権と同様の態度で変わっていません。基本的に前政権の政策を変えられない政権だということなのでしょうか。
今回の県民大会では、仕事や介護などで参加できない人は、黄色の目印をつけようと提案され、町中に、畑に、イエローの旗やハンカチが中央への反乱として沖縄中にはためきました。
沖縄は、いま日米安保の矛盾がマグマとして噴出しているという感じです。この沖縄から日本が変わるでしょう。なぜなら世界的な米軍再編が沖縄で阻止されている状態が続いているからです。移転先に本土の候補地が挙げられると、その地でも反対運動が起こります。政府は日米同盟の再検討とか、米軍の抑止力の再吟味などの課題に全く手を付けずにいますが、再検討が真剣に求められている時機なのです。
それは米国の力が急落している現実があるからです。ベルリンの壁が崩れ、ソ連邦が崩壊して、今世紀初頭には米国による世界の一極支配が実現したように見えました。しかし、いまや中国、インド、ブラジル、ロシアなどが成長して、G8がG20と言わなければ世界の相談ができない構造変化を起こしています。米国一極支配は過去の世界になっています。それなのに自民党も民主党もその極端な変化を読めないでいます。東アジア共同体構想を唱えてみたものの、鳩山首相の頭は、古巣の自民党時代と変わっていないのです。私は、こちらに来てお話をする機会があると、「20年後には米軍は沖縄から撤退していますよ」と話しています。「20年かからないかもしれませんね」とも。米軍関係の仕事が多い方は「良い話を聞きました。軍関係の仕事を減らします」と言います。
ベルリンの壁は壊れないと信じられていました。ソ連邦も分裂するとは信じられませんでした。そういう変化は確実に進展しているのに、見えません。突然やってきたようで、変化の兆候は見えていたはずなのです。それがここ数年の米国の力の凋落で、これから加速します。
米軍基地がないと沖縄の経済はやっていけないのではと言う本土の人がいます。しかし基地経済への依存度は5%程度に落ちています。しかも返還された米軍基地の実例が物語っています。那覇の新都心では経済効果で14倍、北谷町の美浜地区では経済効果で174倍にも発展しています。普天間は市街地ですから、発展も確実に予測できます。
結論として、普天間基地の沖縄県内への移設は不可能となりました。地元の受け入れのないところにできるわけがありません。その民意を示した県民大会でした。さあ鳩山さんはどうするのでしょうか。世界一危険な普天間基地は、閉鎖以外にないと思われますが。合掌。(真言宗豊山派僧侶・弁護士)
更新日:02/28