沖縄だより1 2009年秋
皆さんは沖縄に行ったことがありますか。

亜熱帯の癒しの島。サンゴ礁とリゾートの地。かつての戦争で国内で唯一地上戦の行われた土地。国内の七十五パーセントの米軍基地がある地など、沖縄に抱くイメージはさまざまだと思います。

そんな沖縄に豊山派のお寺があることをご存じですか。それも総本山と同じ名前の「長谷寺」です。

私が平成十八年九月末に沖縄に移住して、早いもので三年が過ぎました。平成十七年の年頭、総本山長谷寺のご本尊さまが、私の夢枕に立たれて「汝は沖縄に行き、私を本尊として長谷寺を創り、彼の地に三十三観音霊場を開きなさい」と告げられました。突然のお告げにしばし呆然。その年の七月から足しげく沖縄に通いまして、地元の城間巌さん夫妻との深いご縁ができ、十八年五月に寺の現在地を城間さんから譲っていただきました。

高台にあり、敷地一千三百坪、建物百八十坪の元の城間邸で、その年の十一月には仮本尊さまの入仏開創法要にこぎ着けました。それが糸満市潮平一番地の「沖縄山城間院長谷寺」です。新寺の建立には長い苦難の歴史が伝えられるのが通常ですが、沖縄の長谷寺は、あっという間にできてしまいました。長谷のご本尊さまの予言が、まさに実現されたのです。

平成二十年一月三十日には、管長猊下、その他七十名もの僧侶をお迎えして、総高四・五メートルのご本尊十一面観音さまの入仏開眼法要を厳修しました。ご本尊は、京都の大仏師、松本明慶師作の仏さまです。
更新日:06/17
沖縄山城間院長谷寺 沖縄に初の真言宗豊山派寺院
管長迎え十一面観音開眼
沖縄に初めての真言宗豊山派寺院「沖縄山城間院長谷寺(おきなわさん・しろまいん・はせでら)」(岡田弘隆住職)が誕生した。1月30日、鳥居愼譽管長、浅井侃雄宗務総長をはじめとする宗派・本山役職者70人余、御詠歌講有志70人余が参列して本尊十一面観音の入仏開眼法要が盛大に営まれた。これに先立って怨親平等の精神から、沖縄戦犠牲者の万霊慰霊法要も営まれ、兵士や軍属、一般民衆の犠牲者を偲び、平和を祈念した。

沖縄山長谷寺は東京・江戸川区の泉福寺住職で宗派顧問弁護士の岡田氏が3年前に発願。夢告で「汝は沖縄の地に赴き我(総本山長谷寺本尊の十一面観世音菩薩)を本尊として三十三観世音菩薩霊場を開創すべし」との言葉を賜ったという。
また岡田氏の師父が一兵卒として徴兵され、沖縄戦線におくられた。しかし奄美沖を航行中に米軍機に撃沈され、それがもとで戦病死。こうした体験も慰霊のための寺院建立を後押しした。
寺基は糸満市潮平。平和祈念公園がある摩文仁の丘の西側に位置する。所有者の理解も深く、敷地1300坪と伽藍となる邸宅180坪を譲り受けた。本尊十一面観音は仏師、松本明慶師によるもので、光背を含め丈八尺(約5.45メートル)。諸儀式はこの本尊前で行われることになる。
開眼法要では、地元の潮平地区をお練り。本土から渡った150人余の僧俗が練り歩いた。正式な僧衣を初めて見る住民がほとんどで感動したように見入っていた。
法要に入り、鳥居管長や職衆が整然と並び、古式にしたがって本尊十一面観音が開眼された。表白文で鳥居管長は本尊十一面観音の由来を紐解くと共に、「先師が今次大戦にて戦病死なされ、悲母の労苦を目の当たりに成長し、その戦禍の悲惨さを哀れみ、未だ訪れぬ世界平和を希求する精神をも併せて請い願うを大願として決意に到る」と岡田氏の心境を代弁して奉じた。
これに先立ち、摩文仁の平和の礎(いしじ)で沖縄戦犠牲者に対する怨親平等の万霊慰霊法要を執行。鳥居管長を導師に宗派役職らも参列し、平和を祈念した。

開眼法要を終えた岡田住職の話
「松本明慶大仏師の作になる大仏観音様の教えがこの地に広まる機縁となり、また今後の沖縄三十三観音霊場開設の端緒となったものと思っています。法要の最後は管長猊下による『おさずけ法要』が行われ、沖縄の地に豊山派の法統が伝えられた。受者参加者はその後も感激を語り継いでおります」
更新日:03/02
沖縄長谷寺入仏開眼大法要
平成二十年三月五日 六大新報
一昨年秋に開山した沖縄県糸満市潮平一番地の沖縄山城間院長谷寺(岡田弘隆師)では去る一月三十日、鳥居豊山派管長、浅井総長はじめ全内局、林総本山長谷寺事務長など宗派重役や御詠歌講等、本土からの僧俗百四十名を含む約五百名が参列して盛大に御本尊十一面観世音菩薩入仏開眼大法要を厳修した。

岡田山主は東京都江戸川区の泉福寺住職を三十年以上務めており、また弁護士としても活躍しているが、沖縄での新寺建立の機縁は、平成十七年正月総本山長谷寺の御本尊十一面観音菩薩が夢枕に現われ「沖縄に行き長谷寺をつくり三十三観音霊場を開創するように」とのお告げを受けたことによる。

同年夏初めて沖縄を訪問、その後間もなく観音様に導かれるように当地とのご縁ができ、城間宝石の城間巌・ミツ夫妻より自邸(敷地約千三百坪、建物延べ約百八十坪)の提供を受けて夢告通り新寺建立が叶い、京都の松本明慶大仏師作の大観音菩薩像(台座から光背まで四・五メートル)も完成、今回の開眼法要に至った。

岡田山主は今回の法要の眼目として、まず第一に摩文仁の平和の礎で沖縄戦での内外の戦没者・戦災犠牲者の万霊慰霊法要を営み、世界平和を祈念すること。
第二に地元潮平地区をお練りし、鎮守氏神様等にお参りして地元との強固なご縁を築くこと。
そして第三に入仏開眼法要と式典等により観音信仰の広まる機縁が拡がり、今後の沖縄三十三観音霊場開設への端緒となること等を挙げていたが、その眼目通り、当日はまず午後一時より摩文仁の平和の礎で主に県外参加者による万霊慰霊法要を営み、次に僧俗約百四十名によるお練りがあり、地元の人々に感動を呼んだ。
そして午後四時より鳥居管長大導師、岡田山主副導師のもと入仏開眼大法要を厳修。
宗派内局及び本山事務長が式務委員(委員長・浅井総長)を務め、職衆三十四口を含む約七十名が出仕した。
法要最後には鳥居管長より地元信者への結縁のためのおさずけ法要もあり、豊山派の法灯が初めて沖縄の地へ伝えられた。式典に移り、まず鳥居管長の垂示、続いて浅井総長、沖縄県仏教会会長善国乗憲師、西平賀雄糸満市長の祝辞の後、松本明慶師へ鳥居管長から賞状が授与され、岡田山主の謝辞を以て終了した。

中庭大テントでの祝賀パーティーでは林長谷寺事務長他の祝辞に続き豊山派集議で随行長の川田聖戍師の発声で乾杯。ピアノ、フルート、ホルンのアンサンブル・レーベトリオの演奏、地元子供達のエイサー、民謡演奏等もあり祝宴に花を添えた。
更新日:06/02