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南城市見学ツアー その1 |
7月8日(日) |
南城市中山部落にお住まいの中山さんにお願いをして、有志の史跡巡り&中山牧場(仮)を見学してきました。段取りを手配してくださった中山さんに感謝します。
コースは以下の通りです。
斎場御嶽→垣花樋川→中山牧場(仮)→くんなとぅ(食事)→大里庁舎「市史文化展」
写真は斎場御嶽にて。 |
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更新日:07/31 |
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6月23日 慰霊の日 その4 |
慰霊の日から2日後 |
慰霊の日から二日後の朝、東京から来たうちの数名で平和記念公園の慰霊碑参りに行きました。私の親戚にあたる竹澤さんの叔父が沖縄戦で亡くなっていたのです。その名前の書いてあるのを初めて確認して、住職と共にご供養をしました。
今でもまだ、遺骨がシベリアに残っているような方々もいます。沖縄でも、出てきていない遺骨も沢山あります。
1945年の戦争終結から67年間たった今なお、私たちは戦争を忘れることができないのです。
平和は私たちが作っていくものです。自然に任せていけば戦争が起こるというのは、歴史が示しています。「戦争するしかない」という盛り上がりが起こるずっと前に、ひとりひとりがブレーキをかける必要があるでしょう。
生きとし生けるものが平和でありますように。合掌
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更新日:07/10 |
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6月23日 慰霊の日 その3 |
金城重明牧師のお話、古謝美佐子さん&佐原一哉さんの演奏 |
法要の後、金城重明牧師の戦争体験を語って頂きました。
渡嘉敷島における集団自決のとき16才であった牧師は、そこで見聞きしたこと、自分たちの置かれた状況やその時の出来事などをありありと思い出しながらお話されました。
そのお話をじっと聞いていた古謝さん佐原さんがその後に演奏をなさいました。お二人にとっても慰霊の日は特別な日なのでしょう。鎮魂に相応しい演奏と語りで、特に沖縄の方々はみな共感の思いで歌を聞いていたように見えました。
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更新日:07/10 |
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6月23日 慰霊の日 その2 |
長谷寺 沖縄戦戦没戦災万霊の追悼法要 |
午後6時から始まった法要には、東京の泉福寺から来た12名の檀信徒及びご住職も含めて、多くの方々に参加して頂きました。
また、法要では長谷寺の住職とともに、花園晶道さんと木村修明さんにご参列して頂き、立派なご供養をすることができました。花園さんはこの度、真言宗豊山派仏教青年会の会長にご就任され、木村さんは同じく事務局長に就任され、忙しい最中であったにも関わらず、この日のために足を運んで頂きました。大変感謝しております。
左から木村修明さん、弘隆住職、花園晶道さん。 |
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更新日:07/10 |
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6月23日 慰霊の日 その1 |
平和記念公園〜魂魄の塔 |
6月23日、慰霊の日。
昼前から沖縄全戦没者慰霊祭に参加するため、糸満市摩文仁の平和祈念公園へ行ってきました。今回は、東京文京区から慰霊の日のために来てくださった花園晶道さんとご一緒しました。
平和記念公園までお馴染みの渋滞の網をくぐって到着すると、例年通りの強い日差しのなか沢山の方々が集まっていました。旧暦の糸満ハーレーが同日に行われ、まさにこの日から梅雨明けをして沖縄の夏が始まったところでした。ここで行われる一分間の黙祷では、様々な政治的な思惑を超えて、誰もがただ一人一人の亡くなった命のために祈りを捧げていたように感じます。
その後、場所を移動して魂魄の塔へ。その道すがら、それぞれの家族が、身内の慰霊の場所に集まっている姿が見られました。魂魄の塔でも、沢山の方々が塔に花を添えて祈りを捧げています。また、この近くでは県内の様々な問題を訴える集会が開かれていました。オスプレイ配備や、辺野古への基地移設、高江ヘリパッドなどなどリアルタイムな問題に関するものでした。
沖縄ではまだ戦争は完全に終わっていないと感じている人のどれほど多いことか私は知りました。沖縄の人たちは平和を訴えています。それはつまり、今続いているこの戦争の終結を訴えているのです。誰からも侵略されていないという状況があって平和があるという思いがあるのです。その思いが、なかなか県外には伝わらないもどかしさを今も感じながら尚、沖縄の人々は平和を訴え続けるでしょう。
つづく
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更新日:07/10 |
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